Sami's Daily Life

生きていくための選択肢を増やしていきたい

もやもや。

お久しぶりです。さみです。

私はいま、福祉の勉強をする専門学生です。3月に退職し、4月からは福祉という単語よりも「ソーシャルワーク」というワードに惹かれて入学しました。

 

先日、ながーーいテスト期間が終わり、少し落ち着いたのでこの4ヶ月間で学んだことや感じたことをまとめたいなと思ったんですが、本っっっ当に色々なテーマで話したいことがありすぎて、今回もまとめられるか不安なんですけど、まあ1人の人間のぼやきとして読んでくれたら嬉しいです。

 

《目次》

ソーシャルワークってなに?

みなさん、ソーシャルワークって聞いたことありますか?

私は4-5年前のデンマーク留学を経て知った単語です。

これは、世界で共通する専門的な職業であり、学問なのです。

 

国際定義(2014)を引用すると

ソーシャルワークは、社会変革と社会開発、社会的結束、および人々のエンパワメントと解放を促進する、実践に基づいた専門職であり学問である。社会正義、人権、集団的責任、および多様性尊重の諸原理は、ソーシャルワークの中核をなす

この説明って、すごーーーく当たり前で簡単にいっているようで、とても難しい。

いわゆる、社会を変えるぞー!とか、みんなを助けるぞー!とか、そのために大事な価値観は社会正義やら人権だぜ!っていう、何やら綺麗事ばかりで全ての言葉が日本人には馴染みがなさすぎるな〜。と

 

ソーシャルワーク=福祉?

そんな「ソーシャルワーク」って言葉ではなく、「福祉」といえばすごく伝わりやすい。ちなみに、福祉と聞くとみなさんは何を思い浮かぶのかな?

 

「介護」「高齢」「障害」「低所得」などなど、、みんながイメージするのはこんなところなんだろうか。でもね、福祉の領域はこんなもんじゃない。

 

「医療」「教育」「司法」「保健」「地域開発」などなど、本当に多岐にわたる分野で、「ソーシャルワーカー」として活動している人がいて、「ソーシャルワーク」という学問に則った職業なのでございます。

 

まだイメージがしにくいと思うんで、医療分野の事例を1つ。

Aさん(68歳)は事故で入院をしていたのですが、退院に向けて、病院にいるソーシャルワーカーと面談をすることになりました。Aさんは、今回の事故で足に障害をおってしまい、独り身の年金暮らしでもあるため、お家には帰りたいけど、経済的にも身体的にも精神的にも、とても安心して暮らせなさそうだ、と。その時に、福祉の知識を持ったソーシャルワーカーが、Aさんが安心して在宅生活が送れるように、その人の環境を整えるために助けてあげることにしました。

私が即興で作った簡単な事例なんだけど、イメージ湧きました?

ちなみに病院の中では、「お医者さん=治療・診察をする人」「看護師さん=医療的なケアをしてくれる人」以外にも、「メディカルソーシャルワーカー」として、今回登場した病院のソーシャルワーカーがいます。何をするのかは、主に退院・在宅復帰など、病院を出た後の生活が暮らしやすくなるように、お金のこと、身体的なこと、精神的なことの相談に乗って、環境を整えていくお仕事です。

 

上記の事例で出てきた「福祉の知識」っていうのは、例えば、「1人で買い物に出かけられない」「1人でお風呂に入れない」など、介護が必要になる場合には、「介護保険サービス」の知識を持ってお手伝いします。また、「お金がない」など、経済的な悩みを抱えている場合には、「生活保護制度」の知識を持ってお手伝いします。

このように公的な国の税金や保険制度で成り立っているサービスだけが福祉ではなく、例えば地域の近隣のBさんに、Aさんの見守りを頼むことも1つです。

 

このように、年配の方、入院中の方以外にも、ホームレスへの支援や、不登校のお子さん、障害を持った方、犯罪を犯した人が社会復帰する場合など、ソーシャルワーカーとして支援に関わる人も多岐にわたります。

 

福祉やソーシャルワークって他人事?

じゃあ福祉って「特定の困っている人」だけのためにあるものなんだろうか?

「困っていない人」には関係ない話なんだろうか?

 

「自分は家族もいる。お金もある。友達もいる。職もある。パートナーもいる。歩くことができる。考えることができる。知識もある。頭もいい。」

そんな人には無縁の話なんだろうか?

 

この分野を勉強しているとそんなことをよく考えるが、私はそうじゃないと思っている。みんなの理解や力がないと、もっと排他的な世の中になって、生きづらい社会になっていく一方だろうな、と。また、みんなが陥る可能性のある病気や障害なんていつどこで起きてもおかしくないこの世の中で、他人事なんて、1つもないんだろうと。

 

そう強く思ったのは、選挙前に元総理が射殺された事件。よく聞く声は「暴力反対」「卑劣な蛮行」「民主主義を守る」など。

 

でも私はその言葉にすごく違和感を持ったし、そもそも今回の犯人を生み出したのは、私を含めたこの社会の構造なんじゃないかなって。

 

この発言をすると、「え、暴力を許すの?」「被害者に失礼じゃない?」など言われる。ただ、私は暴力を許したわけじゃないし、被害者の人にこの犯人を許して欲しいなんて言っているわけでもない。

 

自分が安心して大切な人と暮らしていける社会で過ごしたいからこそ、このような事件が起こって、その悪いことをした人だけのせいにする社会であればあるほど、今回のような事件は無くならないとおもう。

 

ただ、日本のメディアや今の総理大臣の発言、テレビのコメンテーターの発言など聞いていて、とても胸が苦しくなった。「なんでそんな発言しかできないの」と批難したいわけでもない。ただ、日本の「教育の貧困」が生み出したのが、この社会や人間なんだろうなーと。

 

何かあったらとりあえずごめんなさいという。

何かあったらとりあえず人のせいにする。

何かあったらとりあえず暴力を振るう。

何かあったらとりあえず無視をする。

何かあったらとりあえず自分のせいにする。

何かあったらとりあえず我慢をする。

こんなことしか学んでこなかった。私も含めてね。

 

誰かとの違いなんてあって当たり前で、誰のせいでもないのに。もやもやしたら対話をして解決をする。納得する。理解をする。

それが民主主義だと思うのだが、日本では「正しく発言できる人」や「人間が作り出した選挙制度に参加ができたり投票にいける人」「多数派の意見」が民主主義だと認識されているように感じる。

 

じゃあ選挙に行けない重度の身体障害を持っている人は?知的の発達の遅れがある人は?選挙にいく暇もなく働いて過労死寸前の人は?選挙に行っても変わらないと諦めている人は?

 

日本で生きてきて、自分の大切さや他人の大切さを、本当の意味で学んでこなかった。だから「普通」から外れてしまった人を排除する社会の構造になったのかなって。だから自殺率も、所得格差も、大きく変わっていかないのかなって。

 

かわいそうとかそういう生ぬるい話じゃなくて、もっと1人1人が「人間を人間としてみる」ことをどれだけ自分事として捉えられるのかなって。人との繋がりが切れてしまった人たちや、人への信頼ができなくなってしまった人にどれだけの人が寄り添えるのかって。

 

私も学び続けている途中なので、答えはわからない。どうしていいかもわからない。だからとりあえず我慢せず、このモヤモヤについて発言することにする。

 

うーん。やっぱりまとまらなかった。笑

今度は「尊厳死」や「人権」について話したいなー。

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